街の灯り、ふたたび【戸越銀座物語】3話 暮らしの中心だった・下

当時、商店街の子供たちの大きな楽しみのひとつに「夏のレクリエーション」という商店街主催の日帰
り旅行があった。
商店街の人たちは休みなく働いているような時代だったから家族旅行などはまれで、年に一度、商店街中で参加する日帰り旅行は、前日興奮してろくに眠れないくらい楽しみだった。
前日遅くまで働いていたお袋が早朝から弁当や親父たちの酒の肴を準備し、商店街に停まった大型観光
バスの音や排気ガスが漂うと、われ先に子供たちが飛び出していった。
近県の海水浴場や温泉地への束の間の日帰り旅行だったが、往復するバスの車中や旅先では、親たちが用意したゲームや子供たちのためのご馳走やお菓子がいっそう胸を躍らせてくれた。
まだ多くの人が裕福とはいえない時代だったが、商店街を中心に街には活気があり、笑顔が満ちあふれ
ていた。
盆暮れになると商店街では「福引セール」という賑やかなイベントを開催する。
賞品は、特等「テレビ」、1等「自転車」、2等以下はお米・お醤油・洗剤などの生活必需品、末等は駄菓子のような内容だったと思うが、皆もうワクワクしてたまらない!!
福引最終日には長蛇の列ができ、自分が引く前に特等が出てしまい、悲鳴にも似た溜め息が聞こえてきたのを覚えている。多くのお客様が景品目当てに商店街の「福引セール」で買いものをしていた。
夏には「七夕祭り」を盛大に開催していた。地元では大人気イベントで、今も
50歳代以上のお客様からは「あのころお宅の商店街は賑やかだったよね」「なつかしいね!」とよく言われる。
昭和40年代後半まで続いた、わが商店街自慢の風物詩だ。各店趣向を凝らした七夕飾りでコンテストが行われ、投票によって順位が決められていた。競って飾り付けをするため商人の子供たちは七夕飾り作りに駆り出され、色つきのちり紙で飾り花を大量に作ったり、色を塗ったり、当たり前のように手伝っていた。
そんな自慢のイベントには多くの同級生たちも親子連れでやってくる。母親の仕立てた浴衣を着た子供
たちは、商店街の親父たちが用意した露店で買いものをし、蒸し暑い夏の夕暮れを家族とともに地元の商店街で過ごしていた。
普段、商店街で買いものをしていただくお客様に「何とか還元したい」「楽しく、豊かな暮らしの演出
を手伝いたい」「街を発展させたい」という一心で、商店街の親父たちは寄り合いを重ねた。
お客様たちも商店街を頼りにして集まり、地域コミュニティの中心には商店街の人たちが名を連ねていた。地元自治会や消防団、神社仏閣の世話人、PTAなど当たり前のように街づくりに参画し、地域の発展を願っていた。
どんどん繁栄していく日本社会とともに、商店街を中心とした地域社会も物質的に豊かになり、日本中の商店街が街や暮らしの中心として大きな役割を果たしていたのは紛れもない現実だった。
それでも、ただお金持ちになりたかったわけではなかったように思える。
(街の灯りふたたび 戸越銀座商店街物語著者:亀井哲郎氏より寄稿)