街の灯り、ふたたび【戸越銀座物語】4話 江戸を越える村

戸越銀座通りを西端まで行くと中原街道という古い街道に突き当たる。
中世以前から続く古い道で、江戸期、徳川家康によって東海道が整備されるまではその一部としても機能していたといわれ、家康も中原街道を通って江戸に入ったとされている。
当時、家康が見た「戸越」あたりの景色は、さぞかし殺風景だったことだろう。
東海道整備後は、江戸から今の神奈川県平塚を直線につなぐ脇街道とされ、大名行列を避けた庶民が農
産物を運んだり、旅街道として利用された。
このあたりの地は、江戸から相模国、神奈川県平塚へ抜ける江戸越えの村だったことに由来し「江戸越え」が訛って「戸越」になったといわれている。
戸越の鎮守「戸越八幡神社」の境内にある石碑には、戸越の地名の起こりとして
「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」
という古い詩歌が記されている。
これはたちまちに願いが叶うという成就庵の評判を歌ったもので、成就庵は戸越八幡神社の起源で別当寺、行慶寺の草庵とされる。
また、清水の上という場所は、現在も戸越銀座通りの中央付近から南へ「清水坂」として現存している。
いにしえの古歌が、今でも地元に語り継がれていることに感激する。
中原街道を挟んで少し南に行ったところには日本を代表する商店街「武蔵小山商店街パルム」がある。
全国のお手本とされた商店街だ。
子どものころの私にとって武蔵小山は、何でも揃う、必ずほしいものがある夢の街だった。
普段は地元、戸越銀座で買いものをするが、友人と連れ立ってお隣の武蔵小山へ行くときは近所でありながら少し緊張してドキドキしながら行ったものだ。
というのも武蔵小山には当時、東洋一といわれた立派なアーケードがあり、戸越銀座で見かけないような洋服やお菓子があったのだ。
武蔵小山商店街の目覚しい発展は終戦後から始まっていた。
早くから来客用の駐車場を完備し、クレジット会社を設立したりスーパーマーケットを誘致するなど、お客様のニーズを最優先する先進的な商店街だった。
現在も一日中、多くのお客様で賑わう。
最近では武蔵小山周辺商店街の方々が団結してビジョンを掲げ、新しい武蔵小山の街づくりに挑んでい
る。
若いリーダーや地域の事業者がパルムだけではなく武蔵小山という街のエリアマネージメントを目
指し、活発に活動し始めた。
さらに近隣には中延、荏原町、旗の台といった活気ある商店街が隣接している場所で、常に切磋琢磨
して品川区荏原地区の発展を競ってきた。
私たちも、戸越や戸越銀座の発展を願い、武蔵小山や一流の商店街をお手本に、戸越らしい街づくり
を地域のお客様や仲間とともに目指している。
(街の灯りふたたび 戸越銀座商店街物語著者:亀井哲郎氏より寄稿)